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雑誌批評(一部)

写真1999年5月号ピアノ専門誌「ムジカノーバ」に掲載されたリサイタル


内容:細川夏子のリサイタルを聴くのは一昨年のデビュー・リサイタル以来、2回目。明晰できらめくようなタッチが印象に残っている。前回は緊張感からか全体的にこわばった側面もみられたが今回はその硬さも取れ、思いきった自己表現に好感を持った。ドビュッシーの「グラナダ夕暮れ」で見せた薫り高いハバネらラのリズムは秀逸。後半はリストの「葬送」「コンソレーション」「献呈」「ポロネーズ第2番」が演奏された。全く飾り気のない、素直で伸びやかな音楽が光彩を放ち確実な成長を裏付ける出来栄えだった。
曲目:ハイドン・ソナタ・ドビュッシー組曲「版画」、リスト「葬送」「コンソレーション全曲」「愛の歌」「ポロネーズ第2番」
湯浅玲子評  1999年3月12日サントリー小ホールにて



写真:左・リサイタルちらし 右・「ムジカノーバ」の裏表紙にて紹介される
 

 


2004年12月7日(日)こまばエミナースでのリサイタル評
「ムジカノーバ」より


国立音大さらにパリ・エコール・ノルマル音楽院演奏家クラス出身の女史のプログラムは以下の
とおりである。モーツァルト(ソナタ ニ長調)K311 シューベルト=リストの「セレナーデ」をはさんて、リスト「コンソレーション第3番」と「ポロネーズ第2番」
。休憩後にサティ「グノシェンヌ第1.2.3番」ファリャ「アンダルシア幻想曲」、アルベニスの組曲「スペイン」から「マラゲーニャ」、そして
グラナドス「スペイン舞曲」から「アンダルーサ」と「演奏会アレグロ」
女史特有の音楽世界のすばらしさを、特にリスト以降のプログラムに堪能することが出来た。
一般的にいって、演奏において奏者の「自己表現が達成される瞬間」とは、他者の作品があたかも自作のように感じられるときと
言えるように思うが、この日の女史の演奏にあっては、さらに高い境地での「自己表現」が達成されていたように感じた。
それは、なによりも優先して作品のすべ全ての構成要素(たとえば、作品の様式、リズム、ハーモニー、音色、音量のバランス、さらに
作品の精神的背景などなど)を徹底的にアナリーゼして掌中のものとしたうえで、あらためてそれらをはっきりとした
音楽的自意識のもとに再構築し、「時間のカンヴァス」に峻厳に描ききっていたように感じられたからである。
そこには作品としてあるべき「純粋」なひびき世界と、まさにそれを「創造した」(自己が溶解しない形で自己表現を
達成した)一人のピアニストを見る思いであった。
リストの「ポロネーズ」はテンポ、あるいは様式からして、堂々たる精神の真のポロネーズというべき表現であるし
一連のスペインの音楽では、ただ音楽的、あるいはリズム的完全さの表現に止まらず、背後に流れる熱く
そして憂愁をたたえる「あの気分」の表出に、かの国の文化的、歴史的伝統まで眼前にみせられているような
錯覚におちいった。(12月7日こまばエミナース 石川哲郎)

 
        




















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